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森のようちえんって?

  近年、色々なところで耳にするようになってきた「森のようちえん」
という言葉。「森のようちえん」ってどんなところでしょうか?
 
 一口に森のようちえんといっても、園によって理念も環境も、保育のあり方も異なります。
 共通点があるとすれば、「自然体験活動を基軸にした保育の実践」をしているということです。ただ自然の中で遊んでいる、そんなイメージが強いですが、そうではなく、あくまで世の中一般の「保育の実践の場」であることは間違いありません。多くの「森のようちえん」は、子どもの適切な発達を促すための大事な環境として、自然のフィールドを保育環境として選び、そこで子どもたちが五感を働かせながら、様々なコト・モノを感じ、学んでいく生活の場を生み出しています。
 その場に居合わせる大人は、子どもたちの発達を最大限に促し、その可能性を大いに引き出してくれる自然の必然性・有能性を信じながら、日々子どもたちに寄り添い、その子らしい育ちを心から望んでいる、そんな場が「森のようちえん」です。

ちいろばってどんなところ?

 そんな「森のようちえん」の前提を踏まえた上で、では「ちいろば」ってどんなところでしょうか?
 ちいろばは、2012年9月23日に開園しました。私たち夫婦が首都圏より移住してきたのが同年の3月中旬でしたから、移住してからわずか半年という短期間で開園という運びとなりました。
 当然、私たち二人だけではどうにもならなかったこと、様々な方々との出会い、そしてその一人ひとりの有難い支えがあってこそ、  ちいろばは誕生しました。
 ちいろばは、旧八千穂村(現佐久穂町)の大石地区にあり、大石地区の旧冬季分校とその近くにある広い森を活動拠点としています。
 
 ちいろばには「森のようちえん」という名前が冠に付くため、様々なイメージをお持ちの方がいらっしゃっいましたが、簡単に申しますと、ちいろばの想う「森のようちえん」とは、「森に囲まれた、今、この場所で、仲間と関わり生活していく」というものです。自然に囲まれた地域の暮らし方がある。その暮らし方は自然と蜜に関わっていて、 まさに生きる力を感じさせてくれる宝物のようなものです。私たちは、ここで生活していく中で、地域と関わり、自然と関わり、その場にいる一人ひとりと関わり合いながら、自分なりの 価値観や考えを持っていく、そうしたことに重きを置いています。
 生活の中にこそ保育が息づいていて、私たちの保育のあり方は、 そうした生活に根ざしたものの中からヒントを得て、生まれてくるということを理想としています。
 森に囲まれた生活が息づく地域ですから、保育活動はやはり何か しら自然感を帯びたものが自然と多くなってきます。自然の多様性は、私たちに飽きを感じさせることなく、少しずつ形を変えながら、子どもたちの、また我々大人の好奇心や興味関心、そして心身を絶えず刺激してくれます。その刺激こそ、子どもにとっては自然な発達が促されるために大切で必要な栄養素のようなもの、大人にとっては、私らしくあるための処方箋のようなものとして、優しく、また時に 厳しく私達に語りかけてくるものなのです。
 それを心から感じ、信じていく中で、ちいろばなりの保育の毎日が生まれてきます。
 
 最後に一つ申したいのは、私たちは価値観を押し付けたいがためにあるのではありません。多様な価値観を持つ人々が集っていい場所、ゆるく関わり補い合える場所、批判ではなく、一人ひとりが受容の心を持ち、あなたはあなたでいいと言える場所であってほしいと願っています。それでこそ、理念である「みんなの心のふるさとになる」、みんなで創り、みんなで育ち合える場所になると信じています。こうしなきゃいけない生き方ではなく、こうあってもいいのかもしれない、そんな想いが園に溢れたら理想だなと、心から思います。
 
 言葉で説明するのは難しいので、是非一度ちいろばを訪れてみてください。

「ちいろば」の名の由来

 かつて「ちいろば先生」という人がいました。
本当の名を榎本保郎といいます。彼はキリスト教会の牧者でした。
この「ちいろば」という名は、彼が聖書のとある場面に出てくる 「小さなろばの子」の存在に共感し、そのろばのような生き方を  しようということから生まれます。
彼は、「小さなろばの子」を「ちいろば」と短く縮め、
子ども達にその「ちいろば」の話を伝えてきました。そうしていつしか、彼は「ちいろば先生」と呼ばれるようになったのです。

 「ちいろば」とは、イエス・キリストがエルサレムに入場する際に、乗っていたろばの子のことです。ろばの子は初め、「向こうの村」に繋がれていたのですが、「主がご入用なのです」といって召し出されたのです。そのろばは、サラブレッドなどとはおおよそ桁違いに愚鈍でみすぼらしく、まだ弱々しい。さらに、まだ一度も人を乗せたことはないという。そんな名も無きろばでも、ひとたび「主の用」に召し出され、イエス・キリストをその背に乗せる大役を引き受け、
たくましく歩んだのです。
 榎本さんは、その時の「ちいろば」の喜びと感動はどれほどで
あったかを想像し、自らもその「ちいろば」のように「喜んで駆け 回る阿呆になりたい!」と言って、
自分のその後の生き方を、この「ちいろば」に倣おうとしたのです。

 このキリスト教の世界に登場した「ちいろば」ですが、これは   キリスト教の世界だけでなく、万人に共通して理解できるものだと私は信じます。
 少なくとも私は、この「ちいろば」の理念に感激、共感していて、
それこそ、本事業も、バカにされようとも「地域、人、特に子ども達のために喜んで駆け回る」ものでありたいし、また、「初めは小さく弱々しくとも、確かな希望を背負った」事業であってほしいという 願いがあります。
 さらに、子ども達の姿もそこに重ねています。つまり、「まだ未熟ではあっても、大いなる希望を背負っている」子ども達ということ です。まさに「ちいろば」の如く、希望に生かされ、喜びと感激の 人生の歩みを進めてほしいと、私は願っています。
 
 その姿を、本園のロゴに象徴させましたのでご覧ください。   ちいさなロバが、地球の丸をモチーフにした希望、夢を背負って  いる。右端の5枚の葉、これは豊かな自然を意味します。
 私の学生時代の善き友人(金丸 〇〇子さん)が、その才能を十分に発揮して作成してくれたのです。

 本園「森のようちえん ちいろば」は、決してキリスト教保育を施すものでないことを前提としますが、私は、この「ちいろば」の根底に流れる理念の素晴らしさを、ここに関わり、集う方々と共に分かち合いたいと思うのです
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